今回のコロナ禍と1665-66年ロンドンを襲ったペスト禍との驚嘆すべき類似
今回のコロナ禍と1665-66年ロンドンを襲った
ペスト禍との驚嘆すべき類似。
戦争や内紛の混乱に乗じてペストが蔓延したが、
当時の国王チャールズ2世は科学者の意見を取り入れ、
ソーシャル・ディスタンスを導入し、集会を禁止。
劇場を閉め、パブを制限し、大学を閉鎖した(続)
今回米国が中国を非難するように、病気を広めたとして当時の英国は
オランダを非難した。ペスト禍に続いてロンドン大火が起きたが、
当時の克明な日記を残した政治家サミュエル・ピープスは、
人々の避難をよそに自分のワインとチーズの行方を心配した。
現代人がトイレットペーパーを気にするかのように。
ピープスの記録は『ピープス氏の秘められた日記』として
1982年刊行の岩波新書で紹介されている。
なお、コロナ禍によるケンブリッジ大学閉鎖に伴い、学生だった
ニュートンは実家で思索にふける休暇を過ごした。
微積分や万有引力、光学分析の着想は
このわずか1年半の間に生まれたという。
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